2008年03月06日
日本の「公爵」の英訳はprinceである。
え?てことは!?
公爵(こうしゃく)とは爵位(五爵)の第1位である。古代中国の諸侯や近代日本の華族の称号として用いられた。ヨーロッパ・ロシアの貴族の称号であるduke(英語の場合。古代ローマの将軍・ドゥケス(duchess)が語源とされる)やprince(英語の場合)の訳としても用いられる。日本の華族制度では、世襲制であった。なお、日本の「公爵」の英訳はprinceである。
日本では明治維新後の明治17年(1884年)に宮内省達華族令が制定され、第二条において華族を公侯伯子男の五等爵とされ、公爵は第1位とされた。明治22年(1889年)、勅令第11号貴族院令が制定されると、公爵は同令第1条の1により、公爵たる者は貴族院議員となる資格を与えられることが規定された。明治40年(1907年)、皇室令第2号華族令が制定され、襲爵、華族の品位その他、手続きが細かく規定された。
公爵は以下の基準によって授けられた。
皇族 - 親王諸王より臣位に列せられた者。右のような内規はあったが、実際に臣籍降下によって公爵を与えられた例はない。
公家 - 旧摂家。公家社会でも最高位に属するとされ、摂関に昇る資格を持っていた家柄である。計5家。
武家 - 徳川宗家。所謂旧将軍家であり、徳川家達家がこれにあたる。1家のみ。
勲功者 - 国家に偉勲ある者。三種に大別できる。
一つは「偉勲」がなくとも華族たる資格を持っていた家のうち、功績が加味されて本来よりも高い爵位を与えられたグループである。三条家(三条実美の功績)、岩倉家(岩倉具視の功績)、島津家(旧薩摩鹿児島藩主家)、毛利家(旧長門萩藩主家)の4家がこれにあたり、後年侯爵から陞爵した西園寺家(西園寺公望の功績)、徳大寺家(徳大寺実則の功績)、水戸徳川家(徳川篤敬の功績)の3家もこれに含めて考えられる。
次に本家がすでに公爵となっているにもかかわらず、その人物の特別な功績が認められて別に家を立てることをゆるされ、さらに公爵位を授けられたグループがある。具体的には、藩主ではなかったがその後見人として幕末の薩摩藩に大きな影響を与えた島津久光とその子孫、大政奉還後養子の徳川家達に家督を譲って隠棲した徳川慶喜とその子孫の2家である。
公家・諸侯出身でないにもかかわらず「偉勲」によって公爵を叙爵されたグループ。所謂「新華族」である。伊藤家、大山家、山縣家、松方家、桂家の5家がこれにあたり、西園寺家を含めると元老9人のうち6人が公爵を与えられていることになる。
(以上、ウィキペディアより引用)
プリプリは「公爵公爵」!?
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